「ん~、知らない人は今まで損してたってこと?」 はい、今まで普通に利用していた人は損してます。   …

【山内・扇谷】関東の上杉氏2【犬懸・詫間・深谷】

1人間七七四年2010-12-03 13:23:40

謙信でお馴染みの越後長尾上杉以外の、

かつて関東管領として隆盛を誇った山内、扇谷、犬懸、詫間、深谷などの上杉一族・家臣などを語りましょう。

■過去ログ

関東の上杉氏を語るスレ

■関連スレ

【関東】鎌倉・古河公方を語るスレッドⅡ【擾乱】

【太田資正】さいたま〜の武将【成田長泰】

【岩松・由良】上野の戦国大名【長野・長尾】

4人間七七四年2010-12-03 21:53:59

>>1

乙華麗

6人間七七四年2010-12-04 00:41:45

>>1

上杉乙盛

>>5

憲盛自重w

2まとめ2010-12-03 13:27:47

534 名前:人間七七四年 投稿日:2008/10/03(金) 21:45:12 ID:Eqfv//Im

>>105 >>108 >>167

勝手に、まとめますと、

上杉氏は大きく分けて、4家です。

1 扇谷家 八犬伝などで定正が有名。相模守護。

2 犬懸家 上杉禅秀の乱で上杉氏憲が有名。 乱後、山内家に代わられる。

3 山内家 禅秀の乱後、関東管領職を独占世襲する事実上の惣領家となる。

戦国末期では北条氏康に追われ、越後へ亡命した「憲政」が、長尾家の景虎(後の謙信)

に山内上杉家の家督と関東管領職を譲る。

<越後守護上杉家> 血統的には山内家の分家的存在。山内家と互いに養嗣子のやり取りをする家柄。

江戸幕府でいえば、将軍本家と8代徳川吉宗の出身の紀州家の関係と似ています。

後の上杉謙信(長尾景虎)は、越後守護代長尾家の出身です。

4 詫間家 元々養子相続が多かったです。 山内家に吸収され自然消滅か!?

26人間七七四年2010-12-16 21:45:19

>>2

上杉氏本宗の判断は、難しいですね!

上杉氏は主に関東で活躍し、足利家の執事であっても直義系統の執事です。

師直などの高一族が、足利家当主尊氏の執事であることとやや立場を異にします。

常識的には、初代関東管領で有力守護の上杉憲顕の系統の山内家が総領家。

扇谷家本流の在京のニ橋・八条系統が長系で本宗との見方もあります。

しかしこの系統は守護大名になっていないので、その後の動向が補足できません。

その守護大名になった分、山内家の分家筋越後守護家の方が羽振りがいいです。

犬懸家も、禅秀(氏憲)以降は没落しました。

詫間家は、観応の擾乱のとき直義配下として重能・能憲が、尊氏方高一族と抗争し同氏を滅ぼした以外は、

めざましい活躍がありません。

18人間七七四年2010-12-13 12:35:54

鎌倉党の地元はお呼びでないかな・・・。

つか、上杉家のスレだっけか。

19人間七七四年2010-12-13 13:01:05

>>18

鎌倉党もokでしよ、

長尾は鎌倉党だし、

ウチの実家は俣野の拠点

御霊神社があちこちにある

20人間七七四年2010-12-13 17:26:28

>>19

俣野の五郎さんのところか。

横浜と藤沢とどっちかな?

21人間七七四年2010-12-13 18:27:00

>>20

横浜側、五郎さんの館は、横浜側だと思うのだが、藤沢の御嶽神社あたりも捨てがたい、、横浜側には観音堂がある、、

22人間七七四年2010-12-14 08:28:12

>>21

あの観音堂は五郎さんに関係があったのか。

うーん、藤沢側と思われる所から距離的に1〜2キロか。

兄ちゃんが引地川沿いだし、境川向こうの横浜側の方が有力かもね。

しかし、記録が残っていないよなぁ。

当時の文化的な低さからすれば仕方ないのかな。

同族の梶原さんは失脚してるし、長子の長井さんのところはもっとわ

からないし・・・。

23人間七七四年2010-12-14 08:43:55

>>22

かまくら道の上の道の沿道が横浜側を通るから、横浜戸塚区俣野町のほうだとは思うのだが、、、

飯田家義の館が、同じかまくら道沿いだし、

38人間七七四年2010-12-17 14:40:03

>>26

禅秀後の犬懸家は、堀越公方の執事になったとか!

30人間七七四年2010-12-17 02:35:08

弘明寺と言えば上大岡を含む武蔵国久良岐郡には源為朝が隠れ住んでた伝説があるが

戦国時代には北条幻庵の領地で陣屋があったらしいよね。

でも同じ久良岐郡内でも磯子ら辺りは里見水軍の攻撃に備えて笹下城があり間宮氏がいたとか。

まあ江戸時代の間宮林蔵の方が有名か。

鎌倉から栄区の円海山を挟んだ反対側の港南台あたりは誰が統治してたんだろう。

やっぱり洋光台と同じで昭和40年代以後開発だからそれ以前には村が無かった?

しかし栄区の桂台のイトーヨーカ堂ってまだ生きてるんだなワロタw

あそこら辺りは籠城したら便利そうな地形だよな〜。

大船駅からバスで鎌倉女子の前を通過するルートで30分以上はかかるよな…

31人間七七四年2010-12-17 08:19:18

>>30

今でこそ開けているが、俺が物心ついた時はまだ山だったからなぁ、港南台。

統治者はいなくて、ただの山という認識しかなかったかも。

環三付近は、農協の管理した土地が多いのもその為かも?

>>23

かまくら道方面だったとすると、飯田さん家が近すぎる気がするけど、当時は

農地に出来る場所なんてたかがしれていただろうから、固まってしまうのも仕

方ない事のかな。

そいや飯田さんは、河崎氏系統なのかな?

32人間七七四年2010-12-17 11:30:58

>>31

そそ、飯田は渋谷系、堀ノ内のソープ街系、

くらき郡の役所はどこだったのか?

いまの横浜の中心街がくらき郡だったことを知る人はほとんどいない

33人間七七四年2010-12-17 12:33:10

ソープ街系ってw

でも、堀之内は河崎氏の本拠か。

横浜の中心は小机辺りかと思っていたけど、あそこはすでに武蔵の国か。

くらき群って聞いた事あるけど、当時の横浜近辺で栄えていた所ってあるの

だろうか。上大岡辺りかな?

・・・考えてみれば、横浜村辺りに本拠をかまえた武家っていたのだろうか。

35人間七七四年2010-12-17 13:50:57

>>33

横浜村はさびれた漁村だよ、

いまの繁華街は大半埋め立てだし、

磯子か、あそこに平子氏がいたね、

くらき郡は、どーしても中心地がわからん、弘明寺説、栗木説、笹下説、

幻の郡なんだよね、全国で唯一の、いまは

政令都市までなってるのにね、

市立南高校、東戸塚のJRのトンネルとかみると武相国境がよくわかる

39人間七七四年2010-12-17 15:25:09

>>35

国道1号はどこら辺りが武相国境地帯なんかな?

やっぱり平戸交差点の島忠や温泉入り口の看板がある対抗車線側の神社が鍵になっていると思うんだ。

と言うかやはり上野庭の湧き水か田んぼ?→上永谷→大峡谷みたいな場所にあるバッティングセンター→東戸塚→?と流れている馬洗川が国境を分けていたのか?

あの川の昔の流路がまったくわからない。

日限山地蔵の先、舞岡方面にはデカい寺があるが戸塚に至る広範囲は寺領だったのかも。

50人間七七四年2010-12-17 20:16:56

何れにしても、朝比奈の切通しを通るルートなのかな?

>>35

そう言えば、平子氏とかいたね。

河崎氏から平子氏までの間は開けてなかったって事かな。

相模の国は、色々な党が絡まっていて、面白いよなぁ。

53人間七七四年2010-12-18 00:15:13

>>38

上杉政憲とか?

40人間七七四年2010-12-17 15:33:12

>>39

>国道1号はどこら辺りが武相国境地帯なんかな?

普通に保土ケ谷戸塚区(南区)境じゃないですか?

現権太坂の峠あたり。両方に尾根道があって切通しになってたかな?

武相国境は昔から基本尾根だと思いますよ。

41人間七七四年2010-12-17 15:48:12

>>40

そうだよ、港南区だけど真ん中を国境が走る

あとは区境が国境

境木なども国境

郡境は区境と大体一致

57人間七七四年2010-12-18 13:30:13

>>50

>何れにしても、朝比奈の切通しを通るルートなのかな?

内陸ルートは大船回り。つまりは中の道との連絡路みたいな感じ?

55人間七七四年2010-12-18 11:14:14

>>53

そうでしたかね!

堀越公方が鎌倉へはいれなかったのは、時の関東管領山内家が、

堀越公方に犬懸家執事が付いているのを嫌ったため、

とかの説明もあります。

54人間七七四年2010-12-18 00:36:53

鎌倉道が、ほとんど現代の山の上を通っていることから考えて、

現代の東海道沿岸はほとんど耕地としては使えなかったんじゃね?

その分、漁師(≒水軍)が栄えたわけで。

58人間七七四年2010-12-19 16:25:46

子供の頃『新八犬伝』を観てたのだが関東管領は上杉定正がモデルって事でよいの?

59人間七七四年2010-12-19 16:46:59

>>58

長尾景春も登場するでよ。

71人間七七四年2010-12-21 08:49:36

>>59

ちなみに、

『八犬伝』では長尾為景(越後守護代、謙信実父)が、長尾景春の息子で登場する。

実際は親子でなく、遠い親戚。

61人間七七四年2010-12-20 05:08:33

だって、馬琴の『南総里見八犬伝』では扇谷上杉定正が関東管領という設定になっているし

62人間七七四年2010-12-20 08:28:01

>>54

そうかもねぁ。

そうそう、平戸辺りに武家屋敷があったとか、なかったとか言われているけ

ど、どうなのかな。

>>57

大船周りって事は、手広回りで長谷口かな?

>>61

江戸時代くらいだと、手に入る情報はその程度だったんじゃないのかな。

真実みを出す為に昔の人の名前を出しているだけで、多分、誰でも良かった

気がする。

64人間七七四年2010-12-20 12:35:07

>>61

まああの時代の町人程度では史料集めなどその程度のもんかもな

今ですら司馬のトンデモ歴史小説が売れてるぐらいだから、非難できんわな

67人間七七四年2010-12-20 19:57:04

>>61さん

>>62さん >>64さんも回答していますが。

おっしゃるとおり『八犬伝』という物語り上は、定正は「関東管領」の設定になっています。

実際は、関東管領ではなく相模国守護職になります。

95人間七七四年2010-12-29 14:08:11

足利長尾

白井長尾

総社長尾

越後守護上杉と越後守護代の長尾諸家は京の将軍側にしても

長尾一族はかなり繁栄したね。

大船駅で大河化を目指して長尾祭りでも開催すりゃあいいのにな。

鎌倉公方関連の大河で大河ドラマで未だに失われた時代を描くべき。

96人間七七四年2010-12-29 14:25:01

>>95

そうなんだよな、

大河の謙信のときも、大船スルーだったしな

101人間七七四年2011-01-01 14:53:15

>>96

鎌倉市が源平大河で満足しちゃうからな。

鎌倉公方を観光に利用できるコンテンツとして育てたいって気持ちがないからダメなんだわ。

有名作家に原作でも書かせてNHKにネタ切れ感漂う源平大河にかわる提案でもしなきゃ鎌倉観光も先細りだな。

熱海温泉街も壊滅的だが司馬の北条早雲小説があるんだから戦国初期を描くこともできるはずなのにそれをやらないし。

結局、源平大河に頼りきって先枯れするだけ。

102人間七七四年2011-01-01 20:25:46

鎌倉が、実は平氏の所領だったって事は大概の人は知らないだろうしなぁ。

104人間七七四年2011-01-01 23:40:17

>>102

そうなんだよな、平直方

105人間七七四年2011-01-02 00:13:26

>>104

直方が娘婿の源頼義に譲ったんだっけ。

106人間七七四年2011-01-02 15:44:16

>>105

そそ、

まあもともと鎌倉郡の中心だし、古代も、そこそこ拓けてたし

119人間七七四年2011-01-09 10:30:56

話を戻すようだけど、犬懸上杉の本拠って実際はどの辺だったんだろう。

120人間七七四年2011-01-09 13:53:48

>>119

犬懸橋のところだろ

122人間七七四年2011-01-11 12:27:31

そう言う事を言うから、誰も書き込まなくなったじゃないかw

>>120

ごめん、書き方が悪かった。

所領の話です。

123人間七七四年2011-01-12 23:28:46

>>122

どこだろう?

ルーツは四家ともわかるが、、、

テリトリーとなると、、

145人間七七四年2011-01-21 08:16:23

俣野さんの家って、ほんとにどこにあったんだろう?

147人間七七四年2011-01-25 08:08:02

うーん、よく解らない人の為に、全体規制で書き込めないってのはどうにか

ならないものかな。

>>145

実際どこなんだろうね。

観音堂辺りだと川に近すぎるし、その後ろの薬科大がある山の中腹当たりか。

鎌倉党で、大庭一族だと考えると、藤沢側でもおかしくないんだよなぁ。

148人間七七四年2011-01-25 08:42:55

>>147

観音堂あたりは、今でも大雨が降るとヤバイとこ、古遊行寺が花応院あたり、となると西俣野の御嶽神社なのかなあ

149人間七七四年2011-01-28 08:24:56

>>148

せめて、俣野と言う名前の家がいくつかあればその辺だとわかるのだろうけど・・・。

俣野の五郎さんの子孫は、俣野を名乗らなかったのだろうか。

152人間七七四年2011-01-29 04:53:30

>>149

あのあたりは石川姓が多い

俣野は北陸、、あっちのほうへ逃げたからな

153人間七七四年2011-01-31 14:02:56

高氏の母が上杉か、

そりゃ、上杉、力持つわ

長尾が上杉の最大の家来か、

そりゃ謙信力持つわ

154人間七七四年2011-02-01 08:21:56

だから、規制はやめてほしい・・・。

>>152

普通は一人くらい残る者だと思うのだけど、一家総出で逃げたのかな?

まあ、その場合許されない限り、俣野性には戻れないか。

北陸には俣野性が残っているのか〜。

>>153

大方は間違ってはいないが、謙信の長尾家は分家さんなんだよね。

なので、どちらかというと、とーちゃんが実力で力を持ったイメージ。

畠山氏の家宰、遊佐氏に似ているかな。

191人間七七四年2011-04-23 22:35:36

なんで大河ドラマ『関東管領』をやらないの?

もう戦国ばっかり飽きた

194人間七七四年2011-04-24 20:07:12

>>191

何度もやってるじゃん

195人間七七四年2011-04-25 04:58:14

>>194

だよな。関東管領上杉政虎なんて大河のレギュラー格

197人間七七四年2011-04-25 08:48:02

>>195

問題はどの段階の管領を主役にやるかだな

結城の合戦は外せないから、定正が主役だろ

199人間七七四年2011-04-25 13:48:43

大河ドラマで主人公にするなら顕定がいいなぁ。

長年に渡り権力を握ってたわけだし、成氏・景春・道灌・早雲・為景と魅力的なライバルに事欠かないし。

本人が戦争弱すぎるのが欠点かな?

201人間七七四年2011-04-26 05:25:02

一番に目がありそうなのは憲実だけど・・・・。

202人間七七四年2011-04-26 16:32:49

>>201

バットエンド過ぎる「上杉憲実 ある中間管理職の悲劇」

暴君2名に振り回された末に反逆扱い

更に息子を殺され異国で果てるなんて

ほぼ初代の憲顕か末期の茂憲くらいしか無理やろ

226人間七七四年2011-04-30 08:39:30

景春の妻が定正の妻だったり

景春の叔母だかなんだかが義輝の側室じゃなかったっけ。

それを人気女優にやらせればドラマパートは何とかなるだろ

234人間七七四年2011-05-10 19:55:11

>>226

>景春の妻が定正の妻だったり

???

248人間七七四年2011-06-04 00:19:20

この本読めば、関東の戦国時代わかるか

250人間七七四年2011-06-06 08:15:36

>>248

黒田氏の本では分からないと思うよ

黒田氏の本で分かるのは「北条」のことだけ。

言うまでもなく、東国戦国史の1/4か1/5程度に過ぎない。

あとは珍妙な「国衆」理論で説明しようとするからボロが出まくり。

黒田氏は信長・秀吉の統一政権研究を「予定調和的」とか批判してるけど

そもそも黒田氏の議論のすべてが、北条の関東統一を予定調和の前提として議論を組み立ててる。

本人と黒田信者にとってはそんな矛盾なんてどうでもいいんだろうけどね。

252人間七七四年2011-06-06 15:15:09

>>250

どうすればそんな歪みきって支離滅裂な思考を出来るようになるのかに興味あるわ。

黒田先生に親でも殺されたか?w

253人間七七四年2011-06-06 23:34:54

>>252

ほら出た、黒田信者w

どうせなら、どこが「歪みきって支離滅裂な思考」なのか指摘してみればいいのにw

お互いが納得行くまで反論するからさ

255人間七七四年2011-06-07 00:44:54

>>253もどうボロが出てるのか何も言ってないし、悪口を理屈っぽく並べてるようにしか見えません

まー、黒田先生の話しがしたきゃ北条スレ池ってことだ

260人間七七四年2011-06-09 07:52:14

後北条の研究に関しては黒田氏だと思うけど、

それ以外の諸氏で黒田氏……っている人は多い。

261人間七七四年2011-06-09 09:26:02

>>260

その通り。

北条については黒田氏にかなう人はいない。

だが、特にまず黒田氏の言う「国衆」を調べることから始めた人にとっては

「北関東の国衆」だの「房総の国衆」だのは「・・・?」ってなる記述が多いね。

信者にとっては「黒田センセーは当代最高の戦国研究者なんだ!絶対間違ったりしないんだ!!」ってことなんだろうけどさ。

まあ、黒田氏以外の本も合わせて読もうってことだね。

262人間七七四年2011-06-09 09:51:28

>>261

具体的にどの研究者の著作や、どの本を合わせて読むべき?

263人間七七四年2011-06-09 10:12:16

>>262

出勤するので手短に。

市村高男氏や則竹雄一氏の本・論文だね。

特に市村氏の専門は、結城・小山・多賀谷・佐野・宇都宮・那須・白川・・・黒田氏の言う「国衆」であって、

多数の論文の中で黒田氏の「国衆」論を批判している。

「国衆って何だよ、当時そんな言葉使われてねえよ!」

「非論理的」「定義があいまいで議論が混乱している」

「国衆と戦国大名と本質的にどう違うんだかさっぱり分からない!」

『戦国期下野の地域権力』で二人は直接討論をしている。

自分は、この本の元になったシンポジウムを見に行ったが、それは白熱してたよ。

といっても、ほとんど一方的に市村氏が攻めてたんだがw

詳しい内容についてはスレチかなあ。

黒田氏批判は北条スレ行けとか言われたらこれでやめます。

272人間七七四年2011-06-14 21:15:43

伊勢を退治するために来てるのに

一部の伊勢オタは「関東を荒らしに来た」と話を摩り替える

274人間七七四年2011-06-14 21:27:34

>>272

退治もできずあまつさえ同盟まで結ぶとか

275人間七七四年2011-06-14 21:34:22

>>274

伊勢氏康公得意の芸術的土下座で降伏してきたから、寛大な心で赦免してあげたのではw?

あの土下座芸はすごいよね。

はるかに弱体の里見相手ですら、三船山で負けたら隠居の身を押して土下座して和睦してもらうんだからw

全くなりふり構わぬあれだけは謙信にも信玄・秀吉にも、誰にも真似できない。

戦国最強だわ

277人間七七四年2011-06-14 22:11:13

>>275

英雄型と言うべきか

信長も信玄謙信に土下座しまくって同盟結んでもらってた

自勢力の生き残りには形振り構わない性質なんだろう

278人間七七四年2011-06-14 22:14:33

>>277

だね。

氏康公の土下座芸の1/10でも息子が受け継いでいたら

秀吉に滅ぼされることもなかったのに

279人間七七四年2011-06-15 03:34:15

>>278

あらsubちゃん頑張っているのね

367人間七七四年2011-11-11 01:21:14

長尾上杉の流れは文献などでもあまり上杉と呼ばれていない印象があるな。長尾と呼んでいる例が多い。

扇谷上杉の血を引いた吉良の息子が養子に入ってから、きちんと上杉と呼ばれだす。

373人間七七四年2011-11-12 22:10:00

>>367

気が狂うってどういう気分?

374人間七七四年2011-11-13 08:49:16

>>373

頭の中が爽やかになる気分

君もなってみれば分かるよ

375人間七七四年2011-11-13 09:08:00

>>374

気違いには気違いの自覚がないものだよ

376人間七七四年2011-11-13 09:53:26

>>375

稚拙な俗説

403人間七七四年2011-12-03 05:47:51

>402

景春が前例になってるもんな。しかも道灌なら景春より手ごわそう。

>401

忠景は景春を甘く見てたのかな。

最初は自分(の地位)が狙われてたようなもんなんだから、

天子の御旗で景春を討伐するなら大喜びするしてもおかしくないと思うけど。

道灌状(図説太田道灌の138ページ)。

他に人材はいなかったのか・・。

445人間七七四年2012-02-25 09:03:40

こんなカキコミがあったが、遠いな。

114 : 日本@名無史さん : 2009/06/05(金) 18:11:10

山吉家家譜が偽書でないなら

上杉憲将−山吉義盛室−行盛−長尾頼景室−重景

−能景−為景−輝虎・仙洞院−景勝

449人間七七四年2012-03-03 07:41:28

よくよく考えると、越後上杉と越後長尾・上田長尾に間接的な血縁は絶対にあるだろうなぁ。

200年前後も越後でずっといたわけだし。

越後上杉だって越後長尾だって、他の越後上杉家臣から妻を迎えただろうから、無いわけが無い。

つか、「戦国関東の覇権戦争」を読むと、

上田長尾は山内家の家臣だったようなことが書いてある。

あれって越後上杉の配下じゃなかったのか。

453人間七七四年2012-03-05 00:25:58

>>449

>>445

471人間七七四年2012-03-25 11:51:49

軍事力しか見ていない内は、のぶやぼ脳と言われても仕方が無い。

ところで、スレでの憲盛は何でそんな面白い扱いなのw

474人間七七四年2012-04-08 20:48:29

>>471

憲盛公こそ稀代の名将

508人間七七四年2012-06-10 22:40:04

でも、どんなに能力があっても、血筋からしたら長尾は上杉の上司でも同僚でもなく格下なんだから、ムカついて殺されたんでしょ?

562人間七七四年2012-09-15 19:17:08

マジレスすると

鎌倉−白井(総社)−足利−終了

568人間七七四年2012-10-17 17:58:24

松山城に入れられた七沢七郎憲勝って、

朝定の弟だという証拠は全く無いよな。

黒田基樹も、「世代的には、たぶん弟じゃね?」的な書き方しか、していなかった。

『扇谷上杉氏と太田道灌』のp91

藤王丸も、

「1533に江戸城で殺害だから、

たぶん北条氏綱にやられたんでは?」

みたいに黒田基樹が書いていたと思うが。

ただ、

「江戸城」の方が間違いだとしたら、

朝興が殺した可能性も残る。

570人間七七四年2012-10-17 21:58:20

>>568

個人的な独断だが、

朝興が邪魔な藤王丸を北条氏に人質に送ったところ、

北条が藤王丸を扇谷の当主に担ごうとしたたために朝興が刺客を送った可能性も否定は出来ないな。

569人間七七四年2012-10-17 21:11:23

庁鼻和上杉こそが嫡流。そしてその7代目様こそが天下の英傑

571人間七七四年2012-10-18 00:54:29

>>568

そうだ七沢七郎は上杉憲勝とも言われてるんだった

朝定の弟というのは、推論しか聞いた事無い。その本で読んだのだったかも

1533年に武田晴信のところに嫁いで翌年に難産で亡くなられた朝定の姉なら、確かに居たっぽいけど

>>598->>570 なるほどねえ。それなら「江戸城」で「上杉朝興が殺害」の両方もありうるかも

>>569

>庁鼻和上杉氏の七代目

調べたら、このスレで人気の深谷上杉氏の三郎憲盛さまが出てきた

分からなかったどころか読めなかったなんて…ネギで叩かれる(;゜Д゜)

憲盛の正室って太田資正の兄・資時(資顕)の娘なのか。知らなかった

597人間七七四年2012-12-15 23:36:26

為景の没年は、確かはっきりしていないよね?

599人間七七四年2012-12-16 15:07:19

>>597

1541年で確定してる。

601人間七七四年2012-12-17 00:30:22

>>597 >>599

うろ覚えで書くと、15年くらい前?には1536説が主だったと思うけど

文書調べたら隠居後も政治に影響及ぼしてた様子が確認できる、という見方が

支持されるようになってたと思う。それで現在主流は1542説、のはずだ

602人間七七四年2012-12-17 16:26:54

>>599さん >>601さん

回答ありがとうございます。

6065952012-12-19 21:43:00

そうですか。

長尾系図だけは書いてみたことがあるけど、確かにこれは滅茶苦茶大変だった。

http://uploda.cc/img/img50d1b57d85b52.JPG

607人間七七四年2012-12-20 00:17:18

>>606

長尾系図は、特に難しいよね。

609人間七七四年2012-12-22 18:48:17

>608

養子の送り合いをしている本人達は、どう思ってたんだろうね。

「長尾全体で発展しよう!」・・なんて、そんな殊勝な心がけではなかったと思うが。

631人間七七四年2014-04-10 22:54:59

上杉清方−上条房実−上条定明−長尾為景妻−仙洞院−上杉景勝−上杉定勝−上杉実勝

633人間七七四年2014-06-19 11:49:52

>>631

女系じゃん

634人間七七四年2014-06-21 16:01:26

>>633

女系だけど繋がっていることが確認された

今までは仙洞院の母が不明だったので

女系の血縁すら繋がっていないと思われていた

642人間七七四年2014-08-01 10:22:33

>>634

御家中諸氏略系図の毛利家のところに書いてある扇谷の一族上杉中務大輔の娘が長尾景房に嫁いだつーのはどうなの?

これって八条上杉のことかな

679人間七七四年2015-02-08 19:12:56

>>642

その時代の中務大輔だと

八条上杉朝顕に比定できるね。

643人間七七四年2014-08-01 12:11:07

越後毛利は鎌倉時代に越後に土着したはずなのに、姫君が長尾に嫁いだのに付いて越後に来たとかいかにも嘘っぽいけど

653人間七七四年2014-12-18 23:20:26

突破しなくても協力する勢力がいれば攻撃できるだろ。頭悪いんだなおまえ

654人間七七四年2014-12-18 23:23:34

義鏡ひいては堀越勢力と険悪になったから単に敵の敵は見方って事で黙認したとも考えられる

655人間七七四年2014-12-21 01:06:09

>>653

その (古河公方に)協力する勢力 が、扇谷上杉だったんだろ!

>>654

足利政知と上杉持朝の対立の開始時期には、二つの説がある。

1458年に政知が畿内から伊豆に来る当初からという神奈川県史の説と

1460年以降に対立が生じたと言う家永説の両方がある。

足利政知が、鎌倉に入れなかったのは、相模守護で扇谷上杉の持朝の抵抗による。

656人間七七四年2014-12-22 21:33:43

>>654

一応、扇谷上杉は、反古河公方陣営とされているんだけどな。

山内上杉と扇谷上杉は親戚だし、上杉持朝は、暗殺された上杉憲忠の正室の父でもある。

でも、その実、古河公方と扇谷上杉は、

繋がっていた訳で、それはそれでかなりの政治的な事件ではある。

扇谷上杉は、山内上杉ほど古河公方と敵対してなかったと言う事になる。

657人間七七四年2014-12-22 21:45:59

>>655

二つの説があると言いながら、なんで「持朝の抵抗による」と決めつけてるの?

>>656

時系列を追ってそうなっていったというなら分かるが、なんではじめから敵対していなかったと決めつけてるの?

681人間七七四年2015-02-14 23:51:32

>>642

北条高広・安田景元の4代前?の毛利修理亮道元のところだね。

「毛利修理亮道元は鎌倉で管領上杉家に仕えていたが、上杉朝宗一族の

上杉中務大輔維信の姫が長尾弾正左衛門景房に婚姻したときに、

奥家老として越後に来た。」と書いてあった。

>>679にもあるけど、年代的に中務大輔といったら上杉朝顕だね。

長尾景房・毛利道元も年代的に無理ないと思う。

群書系図部集に乗っていた「長尾景房は上杉中納言維信の婿」という

記述が傍証された形になるね。群書系図部集は他の点が結構メチャクチャ

だったので信用できなかったけど、今回はある程度信用できそう。

維信は朝顕の入道名だったのだろうか・・・・。

>>643

修理亮道元自身は嫡男では無かったので、鎌倉で仕えていたのかもしれない。

684人間七七四年2015-03-03 00:05:41

>>681

なるほど・・・・。