信長の正室濃姫・まむしの娘の謎

1日本@名無史さん2014-04-01 18:32:52

以前あったスレだけどいつの間にか消えてしまい

気になったので再スレ立て

昔のスレ住人はいるかな?

35日本@名無史さん2014-08-22 10:12:21

帰蝶って、創作では信長の美濃攻めを道三の敵討ちとして賛成していることが多いけど、

兄の義龍がどんな人間であっても、故郷が戦火にさらされたり、

甥っ子の龍興が亡命して美濃斎藤家が滅亡することに葛藤はなかったのかな。

37日本@名無史さん2014-08-23 00:25:48



>>35

義龍は父親とはあんなことになるぐらいに確執を抱えていたが

(と言っても武田や徳川も同様で父子諍いは珍しくなさげ)

お濃たちとは仲がそう悪くはなかったとする見方もあるらしい。

根拠は壺事件と馬場騒動そしてやろうと思えばできた尾張攻略を

本気モードではやらなかった。

なのでこの見方で考えれば大なり小なりはあるがそれなりの

葛藤はあったんじゃなかろうか。

44日本@名無史さん2014-08-23 15:24:07

>>37

>お濃たちとは仲がそう悪くはなかったとする見方もあるらしい。

濃姫は、父だけでなく弟たちも殺されてるので、義龍のことは仇敵としか思ってないだろう。

>やろうと思えばできた尾張攻略を本気モードではやらなかった。

義龍が尾張攻略をやらなかったてことかな?

信長に刺客を差し向けたことはあったようだが。

美濃の国衆というものは、道三が土岐氏を追い出して乗っ取ったときも、反抗せず臣従するし、

道三が信秀の侵攻を打ち破ったときも、余勢をかって尾張に攻め込むことはできなかったし、

同盟成立後、信長が援軍を要請したときも、たった千人しか出せなかったし、

義龍が道三を討ったときは、数千人くらい動員しているようだが、

龍興が稲葉山城で信長に攻められてるときでも傍観状態だし、

なかなか君主のいうとおりに動いてくれない。

義龍は、尾張攻略はしたかったけどできなかったというのが実態だろう。

45日本@名無史さん2014-08-23 17:01:32

>>44

その弟達を殺すよう義龍に進言したのは武井夕庵といわれいる。

知っての通り夕庵は信長の右筆であり爺的存在と言っても過言じゃない。

なんせ信長を何回も叱り付けられるような信頼関係があったわけだから。

なのであなたの言うとおりなのであればそういう夕庵が常に公私共に

信長の傍にいるのはおかしいのではないかな?

安土城内にも館を構えて信忠邸のお隣だぞ。

51日本@名無史さん2014-08-25 16:31:12

>>44

濃姫にとっては義龍は自分の後見人でもある弟

濃姫は壺の一件を見る限り義龍正室と仲が良かったようだし

義龍と仲が悪かったようには思えない

(濃姫が義龍を父弟を殺した仇敵だと思っているならその正室と仲良くしないだろう)

実家が滅ぼされた後の濃姫の同行が記録されていないことといい

義龍の死は痛手だったはず

46日本@名無史さん2014-08-24 12:10:43

>>45

武井夕庵は、初めてwikiでみたが、、、

義龍に弟殺しをそそのかす男と、信長に命をかけて諫言する男が、果たして同一人物なのだろうか?

その史料は疑ったほうがよいかもしれない。

20年も生きれば人間もかなり変わるが、普通は逆方向だよね。

つまり、青年時代、若い正義感で諫言もするが、中年以降、小ずるくなって謀反人にアドバイスなどする。

これならわかりやすい。

>そういう夕庵が常に公私共に信長の傍にいるのはおかしいのではないかな?

別におかしくはないと思う。

小うるさくはあるが、真剣に諫言する年寄りを、聞き流す程度の度量は、信長ももっていた。

ある意味、信頼していたといってもよいかもしれない。

しかし、反対されたからといって、比叡山焼き討ちを取り止めたわけじゃない。

50日本@名無史さん2014-08-25 14:00:24

もし夕庵が同行していれば快川の火定も恵林寺の焼き討ちも

変わっていたかもしれないからなあ。

「義昭や六角のことなぞもう放っておきなされ。

それよりも快川殿を手中に収めることに心血を注ぐべきでござろう」

ぐらい言ってくれたと思うだけに残念だ。



52日本@名無史さん2014-08-25 19:43:14

>>50

そういや明智が諏訪の寺で信長に折檻くらった理由は

お前がなにをしたとなっているが通説では軍事的な意味あいで

何もしなかったや実績もないのにという意とされている。

だが実はそういう意味ではなくて外交的な意味あいでの

何もしなかった(できなかった)という意なんじゃないかという

見方もあるらしいな。

確かにこっちの方がすっきりするといえばすっきりするかな。

58日本@名無史さん2014-08-26 13:23:32

信長も実際はそこまではやりたくなかったかもしれないよ。>朝敵

だから>>52準拠でいうとやらざるを得なかったイライラが明智の言葉で

爆発して折檻しちゃったと。

あとお濃はお濃で動いていたかもしれない、なんとなくだが。

59日本@名無史さん2014-08-26 15:25:51

>>52->>58

その、武田攻めの際の折檻って、史実なの?

60日本@名無史さん2014-08-26 19:37:51

>>59

目の前の箱は何のためにあるのだ?

>>58

そだな。天正10年1月に武田は武装解除令を出しているからね。

甲江和与詐欺という人もいるが勝頼だってさすがにそこまでバカじゃないだろ。

信長そして信忠(←こっちが重要かもしれぬ)を怒らせ朝廷に借りを

作ってまで攻め込むに至った何かがあったんだろうよ。

夕庵や池田あたりが反対姿勢を出し52氏の言うように明智が外交側面で

折檻をくらったのであれば勝頼は嵌められたのかもね、徳川&穴山あたりに。

90日本@名無史さん2014-09-05 17:44:31

元助の正妻は由之を産んで亡くなったという説もあれば実父が

明智側に付いたから離縁ないし殺されたという説もあるみたい。

ただ前者は多聞院日記の記述と矛盾が生じるし、後者は後年の池田家と

齋藤家の関係から見るとかなり無理があるみたい。

もしかして忠興みたいにどこかに隠してしまっていたのかな?

94日本@名無史さん2014-09-06 12:00:07

まあ池田だけに可能性は無きにしも非ずかもしれぬ

他スレで大久保長安事件に関して

「池田と大久保は信松尼を拠り所にかつての夢を見たかったのさ」

とあったけどこれに似た感情がお濃に対してあったとしても

不思議ではあるまいて

98日本@名無史さん2014-09-06 23:56:41

>>94

その大久保長安事件に輝政が深く関与というか長安と姻戚かつ義兄弟で

めちゃくちゃ仲良くしていたのが痛いんだよね…

池田家の記録でも織田との関わりについてのものが特に欠落しているみたいで

恒興のことも之助のこともあまりわからず輝政も織田時代のことは

あんまりわかっていない裏事情はどうもこの事件絡みらしいし。

ったく本田正信め・・・ムカツク

100日本@名無史さん2014-09-07 14:57:55

>>98

気持ちはわかるが本多の真の目的には「それも」含まれていたかもしれないぞっと!

そして持論だが本多は本能寺の変や武田崩れにも一枚かんでると思うよ。

103日本@名無史さん2014-09-12 16:24:00

>>98>>100

要するに大久保長安事件の背景には本多の根深い私怨晴らしも

かなり関係してる可能性が非常に高いということだな。

(そういや池田兄弟は三成関係の佐和山城で珍しくとてもお行儀が悪いことを

やってるが三成と本多は仲が良かったというからこのあたりも含みそうだ)

もしそうなら妙なところで因果めぐりしたんだね。

104日本@名無史さん2014-09-13 21:01:32

何で本田正信がそんなに織田と敵対してんの?

105日本@名無史さん2014-09-14 19:15:32

>>103

それ長束の水口じゃなかったか?

まあ三成とかなりやりあったのも確かだが。

>>104

つ松永師匠

つ奴は狂信的本願寺信徒(死ぬまで)

つ伊賀絡みでも一役あったという説もあり

池田個人なら上記に加えて本願寺坊官だった下間の池田への出奔も

何かしら絡むのかもしれぬ。他方だが藤堂も足軽とはいえ旧浅井家臣だし。



115日本@名無史さん2014-09-16 14:55:25

ということは、なにかい?

自分の子ではない信忠の子供を、身体を張って守ったと。

こういうことか?

それほどまでに、信忠と松姫は愛し合っていたと。会ったこともないのに。

こう言いたいわけか?

泣ける話だなあ・・・

119日本@名無史さん2014-09-16 22:27:30

だ〜か〜ら〜生母は松姫なんだって!by三谷

121日本@名無史さん2014-09-17 00:22:29

>>119

松姫は甲斐にいたのに、どうやって信忠の子を産めるんだよ?

信忠も松姫と結婚したかったが、家同士が敵対しているからできない。

26歳で死ぬまで独身だった。

父の信長は『早く結婚しろ。子供作れ』とうるさいし、

織田家嫡男として後継者を作るのも義務のうちと考えて、

側室に秀信を産ませた。

『我が心の妻は松姫のみ』とつぶやいていたという、

そんなTVドラマがあったような気がする。



140日本@名無史さん2014-09-18 11:04:26

>>121

そのドラマはおんな風林火山だね。

信長が家康の前で嬉しそうにわしも15でお濃と結婚してとテレ交じりに

惚気るシーンもある。(すごいあてつけのようなw)

隆大介さんの信長だったからそのギャップも良かった。

だれか濃姫から松姫にかけての話を書いてくれないかな。

123日本@名無史さん2014-09-17 04:45:20

>系譜上は、信忠の正室は武田信玄娘になってるそうだね。

確かその記述が確認できる家譜の最古版は池田文庫に所蔵されている

1644年作成の幕府公認家譜集_一次だったと記憶

前にあった姫スレなんかではこの記述をめぐって織田家の詐称や一次で

確認できないから軍艦の妄想と(実際は一次の土御門文書で婚約及び

輿入れに向けての動きがあった旨の記述が確認できている)散々な

言われようだったが、柳営〜の記述推測から思うに織田家が何かしらで

そのことについて知り注記は勿論だが彼女へ敬意を表する意味合いもあって

そう記したのではないかな

あと残酷な話だが家康は獣化してやらかしたんではないかな

同意の上とはとても思えんのだよ、秀信助命が絡んだとしても

125日本@名無史さん2014-09-17 08:28:39

>>123

獣化てw妄想過ぎやろ

家康の八男信吉の母が信松院の妹ってのが変過ぎ妹ってのもよく分からんし、信吉は天正11年生まれだろ。松姫たちは北条を頼って八王子に行ったのに家康の子を産んだってどゆこと?

126日本@名無史さん2014-09-17 14:39:53

>>125

せっかく108さんが情報まで書いてくれているんだから

少しは自分でも調べて考えようとは思わないの?

松姫たちは氏照がいる八王子城内同然の心源院にいたけどこの妹とされる

生一房尼_甲府の玉田寺門跡は宗派が浄土系の時宗だったのも関係したのか

心源院には入っていないよ。あとは自分で考えましょう。

144日本@名無史さん2014-09-19 00:23:55

>>126

同人作家界隈では2ちゃんで出た考察推測なんかを平然とさも自分で考えた

そぶりで自ネタにしている人がいるというからそういう人かもよ。

特定防止のためにフェイク入れるけど武井夕庵のことが某スレで話題になった後

それまで武井夕庵のたの字もブログ含めて言っていないしそれまでの作品にも

登場させていなかったのに急に作品に登場させるようになってその話が

2で書かれていた推論とよく似ていて思わず苦笑したことある。

139日本@名無史さん2014-09-18 02:15:13

スレチすぎ

142日本@名無史さん2014-09-18 12:10:52

>>140

お濃さんの出番は少なかったけどいつも信忠をかばってたよね

そしてお濃さんにとりなしをされるとなぜか引き下がるのぶw

146日本@名無史さん2014-09-19 08:50:20

>>140

濃姫が松姫の甲斐落ちに同行して助けたみたいに何でもかんでも

おいしいところは濃姫のものという設定とかに耐えられるなら昨年

濃姫の本を出した人が書いてるっぽい。

三条夫人はともかく信玄母の大井夫人までダシにしたような感じで

自分設定を披露するような人っぽいし・・・。

143日本@名無史さん2014-09-18 21:55:34

吉乃さんと仲良そうなイメージ

148日本@名無史さん2014-09-19 10:40:42

御旗盾無と大井夫人の懐刀がどうお濃と関係するんだよ

この刀は信虎絡みだから斎藤家すら絡まないつうに

150日本@名無史さん2014-09-19 13:53:55

>>148

盾無を着用した信忠が(御旗持ちは信房)再建された躑躅ヶ崎館で

織田二十四将を前にして「御旗盾無もご照覧あれー!」と言い放つ。

それを「城介、盾無がよく似合っているぞ(お父ちゃんは嬉しい)」

「まことに。よくぞここまで立派に育ってくれたこと」

と信長とお濃さんが涙ぐみながらそれを見つめているんだよ。



153日本@名無史さん2014-09-19 20:35:59

>>150をちょっと見てみたいと思った俺は腹切った方がいいですか?

157日本@名無史さん2014-09-21 21:10:57

来月から始まる信長協奏曲、ドラマではどうなるかわからないけど

濃姫が殿は私が嫌いなのじゃどうのと凹むシーンが原作にあって

うーんとちょっと考えてしまった…。

その殿はニセ信長で一目ぼれしてぞっこん状態、本当の信長は

光秀になっていて生駒と子供作ってみたいな設定でさらにうーん。

なんかこう信長のシェフみたいに濃姫の信長に対する激しい想いを

さりげなく吐露するとか信長は日本刀の手入れをしていて濃姫は

花を活けているみたいなそういう極々普通の夫婦像の信長ドラマが見たい。



159日本@名無史さん2014-09-21 22:18:18

>>157

原作読んでるけどあの程度で嫌われていると思える濃姫って

ぶっちゃけどれだけ面倒くさい女なんだろと思ったよw

料理人は地獄の釜のふたも〜というセリフが好き。

斎藤家関係者以外立入禁止みたいなエリアがあるのには笑った。

167日本@名無史さん2014-09-26 22:04:00

>>159

「殿の為なら地獄の釜の蓋も開けるがの」だっけ?

今思うと何気にすごいセリフだよねw

166日本@名無史さん2014-09-24 01:15:56

お膿け?

あれ信長から離縁されたんやで



169日本@名無史さん2014-09-28 02:17:11

結婚当時の力関係見るに、斎藤>>>織田だから濃姫のことは警戒もしてたと思うよ

下手に跡継ぎうませたら、信長は排除され子供を織田当主にされたり

信長は、その辺の力関係を見切って濃姫には子供を産ませなかった気がする

表面上は、信忠を養子にして正室として面子を立ててあげてたけど

当時の結婚は政略婚だから、内心警戒しつつも面子を傷つけないのは最低限の礼儀だし

173日本@名無史さん2014-09-28 15:28:36

>>169

織田信長が濃姫を娶ってから、信長の第一子信忠が誕生するまでに9年かかっている

このことから信長は当初、濃姫以外に妻を持っていなかった時期がかなり長くあったとみられる

濃姫に長年子ができないので(濃姫の了承を得て)側室を持ったのだろう

最初から濃姫に子供を産ませる気がなければもっと早い時期から側室を持つはず

177日本@名無史さん2014-09-28 22:55:04

>>173

1556年(弘治2年)5月 斎藤道三死去

弘治3年(1557年)    織田信忠誕生

信忠が何月生まれかはわからんかったけど、

道三の死後すぐから側室に種付けをすれば、翌1557年中に誕生は可能。

ということで、信長は濃姫に気を使ったというよりは、

道三に気を使って、その生前は側室を持たなかったのかもしれない。

もっとも、信長には信忠以前に信正という子がいたとも伝わっている。

側室に産ませたんだが、認知されなかったんだか、いないことにされてる。

それほどまでに気を使わなければならなかったのは、

当時まだ尾張平定ができておらず、力関係で、

道三に後ろ盾になってもらってたからではないだろうか?

実際、道三の死後、弟・信行が謀反の兵を起こす。

187日本@名無史さん2014-10-14 23:11:34

原作未読だからわからないんだけど信長の乳兄弟なのになぜ恒興が介錯?

普通介錯は味方側がするものなんじゃないの?

189日本@名無史さん2014-10-15 21:23:12

>>187

恒興が信行側に寝返ったという無理すぎる設定を正当化させるために

そういう展開にしたとしか思えない流れでそうなってる。

190日本@名無史さん2014-10-15 22:24:59

>>189

恒興は信長の乳兄弟だから、実の弟の信行より親密だっただろう。

それに、信行は以前に謀反を起こして負けているんだから、

そっち側に寝返るとか、かなり無理すぎるんだが、マンガゆえの設定か??

193日本@名無史さん2014-10-16 02:36:08

殺されるだけじゃなく養徳院自身も死を選ぶだろうな

>>189

漫画ゆえの設定と言ってしまえばそれまでだろうけど、

恒興が寝返るのは最初の謀反の時からなんだよ。

それ以前にも信長がおかしくなったからと切りつけようとしたことも。

入れ替っていることを知らないとはいえ平手や大人連中がそうなった

信長に何もしないのに乳兄弟のお前が独断で何でしゃばってんだよって感じ。



197日本@名無史さん2014-10-16 16:50:58

>>193

恒興は今上の姉が降嫁している家の祖にもあたるから

原作の歴史捏造は修正すると思っていたんだけどね…。

切り付けるシーンを無しにしたり勝家に介錯させたのは

脚本の良心だと思いたい。

それにしてもドラマ板の専スレ見たら原作は史実どおりで

ドラマは史実捏造と思っている原作好きさん多いみたいね。

正直怖い。

201日本@名無史さん2014-10-16 17:59:29

>>197

そんなんで修正するわきゃない

207日本@名無史さん2014-10-16 19:12:45

>>197

というかスレ覘いてみたけど原作ヲタは【史実】という

言葉の意味や使い方をわかってない人が多いみたい。

209日本@名無史さん2014-10-16 19:26:18

>>207

わかってないというよりただのバカw

234 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2014/10/16(木) 19:05:02.28

>227

>歴史上における事実

おまえはタイムトラベルでもして見て来たのかよw

要するに途中経過に何が有ろうと

そのおまえの大好きな古文書におまえが知ってる通りに書かれれば

問題ないんだろ

211日本@名無史さん2014-10-16 19:51:53

>>209

これは酷いwwwwww

菅沼の方がまだマシに思えるから困るwwwwwwww

212日本@名無史さん2014-10-16 21:07:37

>>209

コピペになんだけどそこまで言える原作ヲタって

少し頭が弱いんじゃない?

232日本@名無史さん2014-10-17 18:48:22

空襲かwww

何のためにあったんだろうな?

235日本@名無史さん2014-10-18 12:25:01

>>232

遺された子供達の行末とか遺品整理とかこまごましたことじゃない?

信長に知られたくないことだって普通にあっただろうし。

それと別の遺言状を新五の家系が持っているということは

壺事件の後に出てくる姑の存在も信憑性が高くなるように思う。

そうなると新五だからこの本妻は濃姫確定でいいんじゃないかな。

輝政、ありがとう



236日本@名無史さん2014-10-18 18:04:14

>>235

>そうなると新五だからこの本妻は濃姫確定でいいんじゃないかな。

この文章、意味がわからんのですが??

240日本@名無史さん2015-01-10 21:22:04

久々にage

ネットでこういうのを見つけたのだけどその後専門家の

調査とかは入ったのかな?

本当に信長公御台とはっきりと記録されていて回向順も三番目という

上位なら研究者の誰かが飛びつきそうだし池田輝政正妻(中川氏)に

関してのことですら地方紙で小さいけど新聞記事になったぐらいだから

何かしら記事になっていても良さそうなものなんだけど見聞きしないし…。

かなり気になる。

http://taigan.blog104.fc2.com/?mode=m&no=492&m2=res&page=2

277日本@名無史さん2016-05-17 13:56:15

わーなんかひさしぶりにレスついてるw

>>240

浄花院は信長公室って記録されているんだよね

ネットで拾った阿弥陀寺での写真で卒塔婆に織田信長公室浄花院光徳大姉ってなってる

(この写真をあげた人は記事でそれを濃姫のお墓だと書いていたけど阿弥陀寺ではそういう見解なのかな?)

でもはっきりと信長公御台ってなっていたところでどうせ継室をとったのかも〜だの他の側室だろうって濃姫とは断定できないってなるのが見えるが

阿弥陀寺には青木加賀から寄進された灯籠もあるし

あとこのブログ主さんのところのコメント欄によると斎藤家の人たちの肖像もあったとかいう話も

だからこの回向順3番目の信長室が濃姫かもと考えるのは不自然じゃないようなと

信長の命日も近いし久々に濃姫熱が復活してきたw

265日本@名無史さん2015-11-23 19:35:28

して、

「信長御台所」

とは一体、誰ぢや?

教えてたもれ。

266日本@名無史さん2015-11-23 19:42:16

>>265

そうやってこのスレへ投稿するときに使っている便利な道具で調べるんだな。

その程度のこともできない奴が理解できるかどうかはさておき。

269日本@名無史さん2016-02-19 23:33:19

「濃姫の御殿」位置推定=金箔瓦で装飾?—岐阜市

戦国武将の織田信長が居城とした岐阜城で、信長居館跡の発掘を進めている岐阜

市は19日、新たに池の遺構が見つかったと発表した。発掘に携わっている滋賀県立

大の中井均教授(60)は「ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの『日本史』によると、

池のそばに信長の奥方の御殿があったとされ、濃姫の可能性が高い」と話し、濃姫の

御殿の位置が推定できたとの見方を示した。

新たに見つかったのは約6メートル四方の池。池の中からは約30個の金箔(きんぱ

く)で装飾した瓦が出土した。金箔瓦はこの付近から集中的に発見されており、池の

すぐ上に建てられた濃姫の御殿とみられる建物に使われていたと推定されるという。

御殿はこれまで、山頂に近い位置にあったと考えられていた。 

270日本@名無史さん2016-02-23 22:01:29

>>269

金箔の瓦なら正室の御殿らしいな。

274日本@名無史さん2016-05-16 23:09:11

>>269

山科言継の日記の記述から、岐阜城の山のふもとに信長の邸があったことは明らか

275日本@名無史さん2016-05-17 05:12:21

浄花院の墓石もあったようだし

これが濃姫に一番近い墓かも

さすがに本能寺で死んだとは思わないが本能寺の変あとの岐阜城混乱期に死んだんじゃとか考えてみる

276日本@名無史さん2016-05-17 13:47:13

>>275

本能寺の変のころは、濃姫は、安土城に住んでいたのではないかな?

281日本@名無史さん2016-08-08 19:36:20

>>277

そこ濃姫信者かつ自分と自称末裔を含む取り巻きの考える歴史が

正しい論調のサイトだから鵜呑みにするのは危険だと思われ

阿弥陀寺のも寺側は濃として回向しているわけじゃないし

それが濃と言っているわけでもないのに一人歩きしていて

ちょっと困っている感じ

斎藤家のも新五もそこで供養されたから追善回向も兼ねてそこに

収めたってだけの話で濃姫は基本関係ないんだと

283日本@名無史さん2016-08-09 00:14:39

>>281

新五の倅が阿弥陀寺にも墓を作ったとかなら

話は別だが実際はそんなことないしな

新五郎以降ずーっと岡山



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