【滋賀】邪馬台国VS狗奴国のはざまで独自路線か 彦根・稲部遺跡、交通の要衝で交易繁栄物語る[10/17]

1のっぺらー ★ 転載ダメ©2ch.net2016-10-17 23:18:02

国内最大級の大型建物跡と鍛冶工房跡とみられる遺構が見つかり、17日に滋賀県彦根市教委が発表した同市の稲部遺跡。

今回の調査からは、東日本と西日本をつなぐ交通の要衝という近江の立地を生かし、鉄と交易で栄えた小国家があったことをうかがわせる。

遺跡があるのは、北陸、東海への分岐点となるJR米原駅から約15キロ南西の地点。

船が使える琵琶湖も約4キロの距離だ。

遺跡からは東海や北陸、山陰の土器も出土しており、各地との交流の要になっていたことがうかがえる。

http://www.sankei.com/images/news/161017/wst1610170089-p1.jpg

発見された鍛冶工房跡が最盛期を迎えたとみられるのは、弥生時代末−古墳時代初頭。

邪馬台国や、敵対する狗奴国(くなこく)が成立しつつあった倭国の形成期で、

武器や道具の素材が石から鉄へと変わり、鉄の入手が勢力を左右した時代だった。

当時、鉄素材は朝鮮半島から輸入したとされ、越前(福井県)の土器も出土していることなどから、

独自に日本海ルートで入手していた可能性があるという。

大阪大学大学院文学研究科の福永伸哉教授(日本考古学)は、邪馬台国が奈良、狗奴国は東海地方にあったと推定した上で、

中間に位置しているため「双方を見ながらキャスチングボートを握ろうと独自路線を歩んだのかもしれない」と推測する。

今回発見された大型建物跡は、大和政権期に入ってから建て替えられたとみられ、

小国家が政権に組み入れられる変遷をたどるうえでの貴重な遺構という。

彦根市教委の戸塚洋輔主査は

「後の大和政権にとっても、近江は東日本に出る際に通る地域。

政治的にうまく付き合おうとしたとみられ、政権が結び付いた結果、大型建物が出現したのでは」とみている。

写真:滋賀県彦根市の稲部遺跡から見つかった鉄の鏃(やじり)

http://www.sankei.com/images/news/161017/wst1610170089-p2.jpg

写真:古墳時代前期の大型建物跡や鍛冶工房跡が出土した稲部遺跡

http://www.sankei.com/images/news/161017/wst1610170089-p3.jpg

以下ソース:産経west 2016.10.17 21:30

国内最大級の大型建物跡と鍛冶工房跡とみられる遺構が見つかり、17日に滋賀県彦根市教委が発表した同市の稲部遺跡。今回の調査からは、東日本と西日本をつなぐ交通の要衝…

4やまとななしこ2016-10-18 00:00:34

>>1

>鉄素材は朝鮮半島から輸入

朝鮮のどこにあった鉱山?

どんな鑑定でわかったんだ?

ホラッチョ考古学w

5やまとななしこ2016-10-18 00:05:11



>>1

まあ、「邪馬台国」が「大和国」であるとして、

「狗奴国」とはどこに当たるかということだが、

魏書東夷伝では、邪馬台国(奈良)の南にあるとされているから、当然「熊野国」のことであろう。

発音的にも、 クマノ → クナ  で符号するのである。

ちなみに「熊野国」は、神武東征の昔から存在してる地方国家である。

17やまとななしこ2016-10-18 08:31:12

>>1

>http://www.sankei.com/images/news/161017/wst1610170089-p1.jpg

街道くらい地図に入れろよ

この程度の配慮も出来ない産経って・・・



29やまとななしこ2016-10-18 12:33:04

>>1

だったら何で弥生時代の鉄器は北九州に偏在し、畿内には少ないんだ?

31やまとななしこ2016-10-18 12:47:29

>>1

>福永伸哉教授(日本考古学)は、邪馬台国が奈良、狗奴国は東海地方にあったと推定した上で、

??

魏志倭人伝によれば、狗奴国には「狗古智卑狗」という男王がいて、邪馬台国と争っていたんだろ?

通説では狗古智卑狗(くこちひく)は「菊池彦」、狗奴国はクマ(球磨、熊)で現在の熊本県を中心とする一帯ではと考えられているが?

7やまとななしこ2016-10-18 00:25:07

>>4

何言ってんだお前…

当時の鉄は全部朝鮮南部産だぞ。

だから朝鮮半島南部を抑えてたんだよ。

貨幣の代わりにもなったと推測されてる。

15やまとななしこ2016-10-18 06:33:13

>>4

朝鮮と聞いただけで

何も見えなくなるキチガイ

28やまとななしこ2016-10-18 11:56:53

>>4

朝鮮の南部は近年エベンキ族が占領するまでは縄文人が渡り建国した日本国だったから普通に行き来してたはず。

10やまとななしこ2016-10-18 00:38:30

>>5

わざわざ行き来が難しいルート通ってまで神武東征の上陸地点にしてる位だし

初期から大和朝廷に味方してる勢力な気はするがクナとクマノは発音が近いんだよね確かに。

9やまとななしこ2016-10-18 00:26:55

淡海は、阿波と淡路の間の海のことだよ。

これを、近江としたのが、そもそも間違いの元。

淡海の大津は、鳴門市大津町のことだよ。

古事記編纂の頃は、滋賀に大津は、存在しなかった。

その頃の滋賀県大津は、古津と言う地名だった。

14やまとななしこ2016-10-18 06:28:33

邪馬台国が奈良で狗奴国が東海?( ゜д゜)

こんなんが大学教授やってんのか‥

18やまとななしこ2016-10-18 08:43:53

>>14

私も新聞読みながら ムカムカムカ!でした。

22やまとななしこ2016-10-18 10:28:12

>>7>>15

日本にも水酸化鉄を使った縄文製鉄がある。

鉄材料が朝鮮産という証拠は何だ?

X線蛍光分析でも鑑定したのかねw

なんでも朝鮮ルートにしたがる基地外w

19やまとななしこ2016-10-18 09:11:35

このスレは伸びない

マイナー県滋賀じゃ無理

福岡 vs 奈良 が本命

21やまとななしこ2016-10-18 10:25:22

>>19

観光的に邪馬台国は利権だからな

26やまとななしこ2016-10-18 11:19:09

>>22

朝鮮半島には割と手軽に掘り出せる鉄鉱石鉱山があった。また,砂鉄も取りやすかったらしい。

朝鮮半島南部で鉄器が割とでるので製鉄技術は半島経由で日本に伝えられたと考えられている。

ただ,そんなに製鉄技術と鉄器があるのなら,なんで日本列島全体を支配下におけなかったんだろうねという疑問が出る。

また,逆に,なんで中国東北部や山東半島方面に支配地域を広がらせることができなかったんだろうねとなる。

朝鮮半島で製鉄・鉄器が盛んに生産されていたなら韓国人が妄想する古朝鮮?大百済?のように東アジアを席巻してもおかしくないんだよ。

だって,彦根どころか東北日本海側まで貿易できるぐらい人の交流があったんだから簡単に兵力を送れるし強力な武器持っていたら猶更。

朝鮮南部に鉄器が限定されているなら,むしろ,日本側から支配地域を広げた結果とみてもおかしくはないんだけどね。

倭人がそれより朝鮮半島の奥に行けなかったのは中国側からの勢力がいたからで説明つくし。

中国起源の鉄文化が南方経由で日本に,北方経由で中国東北部に,で,半島でガチンコというほうが納得いくかもね。

しかし,実は定量的な分析はあまりされていないんだよ。

鉄器そのものの成分だけでは同じ場所で製鉄されたものとしかわからないから,

一緒に発掘されたものの年代測定をして,それをあちこちの遺跡でやって,物品の流れを見るしかないな.

まとめると,朝鮮半島には鉄資源はあった。製鉄技術が本当にあったかは不明。

33やまとななしこ2016-10-18 13:44:03

>>26

驚いたことに東北の蝦夷の方にもどの段階でか製鉄の技術があって

弥生人側の両刃の剣と違った蕨手の刀を作っていてそっちのほうが強度がダンチだったらしい

まだ通説ではカバーできない未発見が沢山あるんではないのか

51やまとななしこ2016-10-24 12:50:15

>>31

好古都 khoo ku tuも発音の子音だけを見るとkkt

菊池の呼名 久々知kukuti(和名抄)の子音もkkt

で一致する。

沖縄とアイヌが縄文人の遺伝子を比較的多く受け継いでおり

九州、東北がその次に縄文の血が濃いと仮定すると

福島弁がイとウの区別がはっきりしないズーズー弁を今もしゃべっている。

九州の倭人もズーズー弁なら

好古都と久々知がほぼ同じ発音だったと考えても間違いとは言えないだろう。

38やまとななしこ2016-10-18 18:05:08

2chの素人博士の意見はいいから

専門家のガチ学者の間では現時点でどこが有力なんだ?

39やまとななしこ2016-10-18 18:36:03

>>38

私は専門家のガチ学者ですが、最近は、四国説が有力ですね。

41やまとななしこ2016-10-18 19:52:34

>>39

そうですか。わざわざありがとうございました



42やまとななしこ2016-10-19 00:04:48

>>39

その論のおすすめの書籍を教えてください

興味があります



40やまとななしこ2016-10-18 19:24:50

普通に越の勢力圏下にあって大和や尾張とは毛色が違ったんだろう。

継体と姻戚結んで大和入りを支えた息長氏がこのあたりじゃなかったか。

44やまとななしこ2016-10-19 08:26:14

>>40

よく知ってるな。

神功皇后も息長氏だし、相当な力を持っていたことがわかる

43やまとななしこ2016-10-19 04:58:28

>>42

◎道は阿波より始まる 著者 岩利大閑 出版社 京屋社会福祉事業団・・・品切れ

◎道は阿波から YouTube  https://www.youtube.com/watch?v=dKIl1838gcg

内容は、同じです。

47やまとななしこ2016-10-20 13:43:28

>>43

ありがとうございます!

ネタとしておいしくいただきます!!



53やまとななしこ2016-10-27 14:30:44

古代日本に来た象徴へびって、コブラ多用してないからインド系っぽくない

でもナーガとかカガとかは発音がへびを表すものだね

56やまとななしこ2016-10-28 23:32:04

弥生時代近畿に鉄器が無かったと妄想に耽る九州野郎の夢が破れた

57やまとななしこ2016-10-30 14:20:46

遺跡自体が100〜400年として

鉄の搬入が270年邪馬台国滅亡後で馬の輸入以降であれば、

任那からの鉄を敦賀経由で搬入した、で、筋は通る。

それ以前であるとすれば、出雲〜半島航路が必要で

陸路の輸送が無理すぎる。出雲で製造するはず。

59やまとななしこ2016-11-05 03:45:21

ただ一つ孤立して存在している「魏志倭人伝」などという、信憑性の疑わしい資料に

長年振り回されている日本の考古学会って一体なんなんですかね。

徐福の「蓬莱島」はどこにある、というのとどこが違うんだという。

それに乗っかって「邪馬台国論争」(爆笑)なんて、徳川埋蔵金を探すよりも無駄。

九州各地の民間伝承をこまめに集めている歴史研究者の方がよっぽど偉いと思うよ。

60やまとななしこ2016-11-05 10:52:02

>>59 戦後はM資金なんていうのもあった。

62やまとななしこ2017-02-07 00:55:24

彦根が邪馬台国期の拠点だとしても

現在住んでる彦根住人は百済滅亡後逃げてきた半島人が多いので

よって現在の彦根には無関係 それに邪馬台国期の拠点ないないwww